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餅ゴリ(パクジニョン)の若い頃!昔はどんな人だった?

JYPARKの昔

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NiziUやTWICEの生みの親である餅ゴリ(パクジニョン)さんの若い頃が気になります。

日本ではJYパークとして理想的な指導者、プロデューサーのイメージが強いですよね。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さんは昔から穏やかでニコニコした人だったのでしょうか?

パクジニョンの名で若い頃はどのような活躍をしていたのでしょうか?

 

今回は餅ゴリ(パクジニョン)さんの若い頃に迫ります。

JYパークになる前のパクジニョンさんの若い頃、餅ゴリ(パクジニョン)さんの昔を紹介していきます。

餅ゴリ(パクジニョン)の若い頃!昔はどんな人だった?


餅ゴリ(パクジニョン)さんの若い頃のイメージは「セクシー」です。

意外!と感じられた方も多いのではないでしょうか?

 

日本では虹プロで餅ゴリ(パクジニョン)さんを知ったという人が圧倒的。

虹プロでの餅ゴリ(パクジニョン)さんは、ニコニコとした穏やかなイメージですよね。

 

しかし餅ゴリ(パクジニョン)さんの若い頃は今の穏やかなイメージとはかけ離れていたのです。

今のJYパークさんになるまでの、餅ゴリ(パクジニョン)さんの昔をまとめていきましょう。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さんはデビュー前、韓国の名門「延世大学」に在学していました。

餅ゴリ(パクジニョン)さんの昔は所謂エリートだったのですね。

 

そのまま行けば餅ゴリ(パクジニョン)さんは大企業や官僚になっていたのだと思います。

しかし歌やダンスの夢が諦めきれず、1992年在学中に「パクジニョンと新世代」として芸能界デビュー

 

この時は歌手としては鳴かず飛ばずだったそう。

その後、再ブレイクを狙って受けたオーディションも落選の連続。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さんも若い頃には悔しい思いを沢山したのでしょう。

餅ゴリさんはバックダンサーを務めながら、作曲家キムヒョンソクに師事し、音楽理論を勉強します。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さん昔のことを告白する番組でSMにも落選したと言っていました。

SMでは「曲とダンスはいいが顔が…」とため息をつかれ、自作の曲だけ売らないかと声をかけられたそう。

 

しかし捨てる神あれば拾う神あり。

新設の芸能事務所が新人歌手を育てたいと餅ゴリ(パクジニョン)さんに声をかけました。

 

そして1994年、ソロ歌手として「Don't Leave Me」で再デビューしたのです。

デビュー前からCMに採用されるなど「Don't Leave Me」は大ヒット。

 

ちなみにこのCM、ブレイク前のチョンウソンさんが出演されていたものです。

曲のクレジットでパクジニョンの名前が入っていたので、パクジニョンさんはイケメンだと誤解されることに。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さんは若い頃からイケメンとは程遠いゴリラ顔でした。

いざ再デビューの初舞台で、餅ゴリ(パクジニョン)さんの顔が明らかになると、衝撃、騒然!

 

そんなエピソードも追い風になってこの曲は話題になりました。

当時珍しかったR&Bを基調とした楽曲、セクシーなビジュアルとパフォーマンス。

 

特に腰を振るセクシーな振り付けには黄色い声援が飛んでいます。

餅ゴリ(パクジニョン)さんに若い頃はセクシーが売りだったのですね。

韓国のアーティストで最初に男性のセックスアピールをしたのが餅ゴリ(パクジニョン)さんと言われています。

 

この時リリースした1stアルバムは47万枚のヒットとなり、復帰から一気に人気アーティストに登りつめました。

餅ゴリ(パクジニョン)さんは昔から一貫してセクシー路線を進んでいきます。

 

それは餅ゴリ(パクジニョン)さんが若い頃から、当時の韓国への反骨精神を持ち続けていたからでした。

規制の厳しかった当時の韓国芸能界。

 

納得の出来ない抑圧に反発するかのように、餅ゴリ(パクジニョン)さんは過激な表現をします。

セクシーな衣装やパフォーマンス、皮肉を孕んだ歌詞、自由な発言。

 

時には韓国で餅ゴリ(パクジニョン)さんの若い頃の過激さに批判が集まることも。

それでも餅ゴリ(パクジニョン)さんは自分の考えを表現することをやめませんでした。

 

それを最も象徴しているのは餅ゴリ(パクジニョン)さんのコンサート。

2012年には19禁指定をかけて、セクシーなステージでファンを魅了しました。

 

パクジニョンさんが若い頃から規制が厳しかった韓国で認められたのは、知性や道理が通っていたからと考えられます。

ただのセクシーな表現でなく、パクジニョンさんの若い頃のパフォーマンスは知性に裏打ちされていました。

 

そして餅ゴリ(パクジニョン)さんは誰より自分への批判を理解していました。

それを1996年、自虐してこんなMVを作っています。

 

このMVで餅ゴリ(パクジニョン)さんは、昔のやんちゃぶりや自分が今置かれた立場を皮肉的に表現。

ユーモアに富んだ自虐で韓国エンタメ界を沸かせました。

 

1997年、所属していた事務所が経営難に陥り、餅ゴリ(パクジニョン)さんは自身で事務所を設立。

後のJYPエンターテインメントです。

 

プロデューサーJYパークとしての餅ゴリ(パクジニョン)さんはここから始まりました。

パクジニョンさんはかなり若い頃から、プロデュース業を行っていたのですね。

 

g.o.d」や「Rain(ピ)」といったアーティストを育てます。

また2000年以降、餅ゴリ(パクジニョン)さんは米国進出を果たします。

 

「メイス」や「ウィルスミス」といった大物アーティストに楽曲提供。

自身が生んだ「WonderGirls」を米国デビューさせ、韓国アーティスト初のビルボードチャートにランクイン。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さんはK-POP世界進出への足がかりを作ったと言っても過言ではありません。

しかしその後2008年リーマンショックによる大不況で米国からは撤退。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さんは米国で成功を収めた反面、辛酸も舐め尽くしていますね。

長くアーティストとして活躍出来るようにしてあげたいと餅ゴリ(パクジニョン)さんは言っています。

 

技能よりも人格重視。

それを自ら実践する今の餅ゴリ(パクジニョン)さんは指導者としての経験を得て出来上がっていきました。

 

餅ゴリ(パクジニョン)さんは昔から完璧だったわけではありません。

また日本で知られているような理想的な指導者としての一面だけが餅ゴリ(パクジニョン)さんの全てではありません。

これまでの挑戦と失敗、賞賛と批判、全てを吸収消化して今の餅ゴリ(パクジニョン)さんがあるのですね。

まとめ

今回は餅ゴリ(パクジニョン)さんの若い頃、昔の活躍についてまとめてきました。

パクジニョンさんの若い頃と言えば、セクシーなパフォーマンスと過激な発言で注目を集めるアーティスト。

 

才能と知性に溢れた餅ゴリ(パクジニョン)さんは韓国エンタメ界の常識を塗り替えていきました。

一方プロデューサーとしても、パクジニョンさんは若い頃から頭角を表していました。

 

挫折や批判も沢山経験しましたが、それさえも貪欲に吸収して今の餅ゴリ(パクジニョン)さんがいます。

餅ゴリ(パクジニョン)さんは知れば知るほど魅力的な人ですね。

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